リアルで上手く立ち回れない人の方がネットでは有利に作用する

これは私の持論であり、願望であるかもしれないが、リアルで上手く立ち回れない、ニートやひきこもり(中でもチャラくはなく、真面目だけどそうなってしまったタイプ)、対人恐怖症やあがり症などリアルでの成功に不利な要素を持っている、所謂、社会不適合者の方がネットでは共感を得られやすく有利になれる。少なくともリアルと言う自分にとって不利なフィールドよりかは、ずっとマシだろう。

これは文学作品にしても、どちらかといえばリアルでは大人しく、ちょっとしたことですぐに壁にぶち当たったり、繊細で打たれ弱いタイプの人の方が共感できることが多く、理解しやすいのと似たようなことである。

また、ネットには様々なコンプレックスや悩みを抱えた人が存在する。なのでそうした人の方がネットとの親和性も高くなる。なぜならリアルに満足していればネットなどに手を出す必要はなく、ちょっとした調べ事や買い物で十分であり、それ以上に深くのめり込んだりはしないからである。

ネットはやや病んだ人も多く、似たような考え、性格をした人をどこかで探し求め、私もそう思う、そうなんだよ、よくぞいってくれた、と共感したいところもあるのだろう(皆、寂しいのである、どこかで繋がりを求めているし求めてしまうのである)。もしかするとfacebookの「いいね!」ボタンもそういう発想から生まれたのかもしれない(あれはリア充のためのものかもしれんが、あのボタンを本当に押したいのはもしかするとそれに憧れたり嫉妬している、リア充ではない誰かなのかもしれない、その子のことが好きだとかね)。

なのでアフィリエイトにしても、自分のリアルでの弱味がネットでは強味に変わったりする。そうしたものを多く持っていた方が同じような弱者、悩みを抱えた子羊たちの共感を得やすく、武器になるということである。

たとえばとある芸能人がいつもどんな時にも笑顔で明るく振る舞うようにしているの、周りにも心配かけたくないし、といった発言したとしよう。芸能人といえばリアルでの成功者であり、こうした類いの言葉をよく発する。

これは確かに表面的には良いことを言っているように映る、しかし感度敏感で繊細な人にとって、これはどこか引っかかる発言でもあるのだ。疲れがすぐに顔に出てしまい、笑うに笑えない体質の人だっているのである。つまり、この手の発言はそうした人たちのことを考えてはいない(そうしたくてもできない人の気持ちが分からない)、自分大好き、自分に酔っているそれだったりするのだ。

それでもそうしたことを知らないのだからある意味、仕方がないし、神に好まれし恵まれた人間だとすればそれはそれでいいだろう。しかし、リアルで眩しく輝く、ある意味、単純で幸せな一般人(アメブロが好きなような)には共感を得られてもそうでない人々には響かず、逆にあまり良い印象を与えないのである。

彼らある意味、ひねくれ者はこう思っている。確かにそう心がけることは大事だが、実際にできるかどうかはその人による、それができたら苦労はしませんよ、と。

リアルの成功本にもそれができたら苦労はしない、ということが多い。そうではなく、弱者の立場にたって考えてあげることも世の中、特にネットには必要だと私は思う。ネットだからこそできることとはそういうことなのかもしれない。

世の中にはいろんな人がいるものだ、そうした人たちの立場にたって考えよう。こちら側の世界をより深く知るからこそリアルでよりも深く優しくなれるのではないか(反対に気軽になんでも言えるからリアルよりも酷い発言をしてしまう人も多いが)。

リアルでは気が小さくていつもびくびく怯えていても、ネットならリラックスした態度で、本来の自分でいられる。そこで自分の思っていることを素直に表現すればいい。ネットに使わされるのではなく、積極的に使っていこう。自動車教習所でよく言われた、運転させられるのではなく、運転する、である。自分の発言が共感されれば自分も嬉しいし、大事に育てたサイトのことを好きになってくれれば自分のことのように嬉しいはずである。

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